生きる意味と死の恐怖から解放される方法

こんにちは。
津軽三味線 唄うたいの「つむぎ人HIDE」です。

僕は「介護の仕事」をしながら、「シンガーソングライター」をしています。

介護の現場では、沢山の人の「生き様」そして「死に様」に立ち会って来ました。

人は幾つになっても、最後の最後まで「必死で」生きているんですね

 

それでもふと、「人は何故、生まれてきたのか?」「生きる意味とは?」と考えてしまいます。

そして、人の「生きる」をテーマに作曲活動をしています。

そんな僕が、僕なりに考える「生きる意味と死の恐怖から解放される方法」についてお話ししたいと思います。

 

生きるとは?

生きるとは、死なないように努力する事です。

なぜなら、努力なしには生き残る事が出来ないからです。

食事をしなければ、人は死にます。

身体を洗わなければ、いつか病気になって死んでしまうかもしれません。

 

仕事をしなければ、お金が無くなります。

お金がないと、食材を買えません。

ということは、食事ができなくなるということです。

食事をしないと、人は死にます。

 

このように、食事や身体を洗う、仕事をするなどの行動を止めれば、人は死にます。

裏を返せば、「人は死なないために、行動している」ということになります。

この「死なないための行動」こそ、「生きる」ということです。

 

人は、「行動している限り、生きている」と考えられます。

 

しかし、「これ以上は、生き残るための方法は残されていない」と、諦めたとします。

「何をしても無駄だ!」と諦めたとします。

その瞬間から、人は生きているとは言えない時間を過ごすことになります。

そして、人は「死の恐怖」から解放されるのです。

 

その時、脳内から特別ホルモンが分泌されると聞きます。

「死」という、もっとも恐ろしい現実からの逃避を、手助けしてくれる特別なホルモンが。

そして、人は「死」を迎えるのです。

 

ビルの屋上から投身自殺するひとの脳内にも、同じことが起こると言われます。

身を投げてから地面に激突して、死ぬまでの間にこのホルモンが分泌されるのです。。

その働きにより、死の恐怖から解放されます。

 

そして、この死の瞬間が訪れるまでの間、人間は必死で生きています。

いえ、必死で死なない為の努力をしています

そして、少しでもこの「死の恐怖」から逃れようとします。

 

これが、「生きる」ということです。

 

僕は、介護の現場で最後の最後まで「必死で生きている」、お年寄りのお世話をしています。

たとえ、不治の病にかかろうと。

たとえ、口から物が食べられなくなろうと。

人は、生きることを諦めない限り死にません。

 

たとえ、口から物を食べることを諦めたとします。

でも、生きることを諦めなければ、点滴でもなんでもして生き続けることができます。

でも、生きることを諦めた瞬間、最後のひと呼吸を諦めた瞬間、人は天国に召されるんだと思います。

 

その瞬間が来るまで、人間は必死で死なない為の努力をしています。

人間は、その瞬間がくるまで必死で生きているんです。

 

生きる意味はあるのか?

僕は介護の現場で人の死に、何回も立ち会って来ました。

最後の呼吸を終え、「もうひと呼吸」を諦めるシーンです。

人は死からは逃れられないんです。

 

その時、いつも考えます。

この人の人生は、幸せだったのか?

この人は、この世に生まれてきたことについて、何か意味を見出せたんだろうか?

生まれてきたことに対して、心から良かったと感謝の気持ちを持てたんだろうか?

と、いつもいつも考えされられます。

 

でも、僕はこの仕事に就いたおかげで、ひとつだけわかったことがあります。

人間は幾つになろうとも、どれだけ年を重ねて経験を積もうとも、実は僕たち若者と何も変わらないということをです。

どういうことかというと、「おじいちゃんだから、いたわってあげましょうね!」と労うのが常識だと思いますが、本人は「ほっといてくれ、若いもんには全然負けてないわい」と考えているのです。

 

「お願いだから、俺を年寄り扱いはしないでくれ!」

「オレを、そこの年寄りといっしょにしないでくれ!」

実は、寝たきりの老人にも、こういうことを言われたりします。

すべての老人が死ぬまで、自分を老人とを認めてません。

内心ではです。

 

たとえ、90歳になろうと、たとえ100歳になろうとです。

人間は生きている限り、必死で生き抜こうとしています。

そして、どうすれば生き抜けるかを必死で考えているのです。

 

そして、自分のことを「おじいちゃん」とか「おばあちゃん」とかは、思っていません。

若いものには、全く負ける気がしないんです。

経験を積んだぶん、仕事や人間関係なんかにおいて、若者よりも有利だと考えています。

何においてかというと、仕事や人間関係なんかにおいてです。

そして、もちろん恋愛や色恋沙汰はお手のものです。

彼らは「どうすれば、死ななくて済むか?」と、必死でそればかり考えています。

そして、自分が死んだ後も、自分の魂が生き続ける為の努力をします。

 

それは、子孫を残すことであったり、子供に自分の夢を託すことであったり。

また、自分の名前を残すことや、功績が伝わるようにすることであったり。

 

人は、自分の生きた価値を形にしたいと欲求します。

生まれてきて良かったと思いたいのです。

 

「死にたい人」と「生きる希望を無くした人」

「死にたい」と、考えている人は沢山います。

なんらかの事情で、そう考えているんだとおもいます。

しかし、「死のうとしている人」「必死で生きている人」同じ行動をしているのです。

 

死のうとする行動に、生きる目標をもっているのです。

「死んだほうが、生きているよりも良くなる」と選択しているのです。

実際に自殺して、「生きることを諦める瞬間」がくるまではです。

 

多分、ものすごいエネルギーをつかって、自殺する為の準備をするんだと思います。

それは、まさに生きる目的であり「生きている」ということです。

生きる目的があり、生きているということは素晴らしいことだと思います。

もちろん、自殺についての善悪にはこの際考えないことにしてです。

 

僕が心配しているのは、この人達ではなく、「生きる希望を無くした人」なんです。

今回のブログのテーマです。

「生きる意味」ですよね。

僕は、この生きる希望を無くした人に向けて、なんらかのメッセージを送れたらと考えています。

生きる希望を無くすとは?

「生きる意味を見出せない人」はどんな人でしょうか?

 

多分みんな、生きる意味を探しながら、生きているんだと思います。

きっと、死ぬまで考え続けるんじゃないかと思います。

 

「生きる意味?」

本当に何故人は生まれてきたんでしょうか?

僕の永遠のテーマでもあります。

この結論は、それこそ死ぬまで出ないでしょう。

 

しかし、「この生きる意味を見出せない人」は厄介です。

「生きていても仕方がない」と考える人です。

 

「生きていても仕方がない」と考える人は何をしますか?

多分、「何もしない」ということを選択するんだと思います。

つまり、「死なない為の努力」から解放されてしまうんですね。

 

こういう状態になった人はどうなるか?

というと、実際にすぐに亡くなってしいます

あっというまに痩せ細っていき、最後は天国に召されていきます。

 

例えば、「奥さんを亡くしたご主人」の話です。

身体はどこも悪くないのに、1年も経たずに亡くなってしまいます。

まるで、奥さんの後を追うように。

なんて話を、よく聞きます。

 

しかし、こういう事が若い人達にも起こります。

それが、原因がなくてもです。

いえ、きっと原因はあるんでしょう。

しかし、他人にはわかりません。

例えば、イジメとか?

失恋とか?

借金とか?

きっかけは、人それぞれでが、心の底に闇を抱えてしまうのでしょう。

そして、自問自答を繰り返すうちに無限ループにはまってしまう。

「生きる意味はあるのか?」と。

 

導き出した答えが「生きる意味は無い」だとしたら、それは最悪です。

きっと、脳内から特別なホルモンがちょっとだけ分泌されるんだと思います。

そして、死なない為の努力をやめてしまいます

食欲が無くなり、気力が無くなり、人間のありとあらゆる生きる為の欲望がなくなります。

 

一見、普通の生活を続けていますが、だんだんと身体が弱っていきます。

そして、とうとう何らかの病気になってしまうのです。

きっと、その人の一番弱いところに症状が現れるんだと思います。

うつ病であったり、感染症であったり、それこそガンであったり。

どれも、自己免疫機能の低下による疾患と考えられます。

 

介護の現場では、日常茶飯事のようにこういうことが起こっています。

例えば、楽しみにしていた息子さんの面会が突然キャンセルになったり。

昨日まで出来ていたことが、段々と出来無くなってきたと、気付いた時などです。

 

自分の役割は終わった

自分は必要とされていない

自分はもう、人の役には立てない

と、思った瞬間、生きる努力やめてしまうんだと思います。

 

では、生きる意味とは「人から必要とされること」なんでしょうか?

次は、人間以外について、少し考えてみます。

人間以外の存在価値について

あなたは、動物は好きですか?

ペットを飼ったり、していますか?

ペットは一体、何を考えているのでしょう?

あなたは、ペットの気持ちがわかりますか?

自分がもしそのペットだったらと、ペットと自分を置き換えて考える事が出来るでしょうか?

そのペットは今、幸せでしょうか?

 

そして、家の外に目を向けて下さい。

どんな動物が、いますか?

きっと、いろんな動物がいますが、貴方は想像出来るでしょうか?

もし、「あなたがその動物に、生まれて来ていたら」と。

例えば、大空を飛び回るツバメに生まれて来ていたら?

例えば、大自然を走り回るキツネに生まれてきていたら?

例えば、流氷の下に漂うクリオネに生まれて来ていたら?

 

「もしも、私がツバメに生まれ来てていたら、大空を自由に飛び回れて、楽しい一生を送れたはず!」なんて、悠長なこと言っていられるでしょうか?

そんな難しいことは考えずに、生き抜く為に必死で大空を飛び回っているんじゃないかと思います。

 

ツバメは、それで幸せなんでしょうか?

ツバメに、「生きる意味」ってあるんでしょうか?

 

もし、この世にツバメが無かったとします。

ツバメが無いと言うことは、鳥類がいないということです。

鳥類がいないということは、玉子が無いということです。

玉子が無いということは、玉子焼きが食べられないということ?

玉子が無いということは、親子丼も食べられないということ?

これは、こまった!

僕の大好きな親子丼が食べれないとなると、大問題です。

 

ん?と、言うことは?ニワトリの玉子は、僕に食べられるために生まれてくるんでしょうか?

もし、そうならなんて悲しい運命なんでしょうか!

捕食者に食べられるために生まれてくる人生なら、生まれてこない方がマシです。

ややこしくなるので、動物の話はこのくらいにしときましょう!

生きる意味とは

さ〜、そろそろ答えが欲しいところです。

「生きる意味!」本当にあるんでしょうか?

誰かのエサになる為に生まれてきてるのなら、それはちょっと悲しいです。

 

それでも、答えが欲しいですか?

その答えが、僕の出した答えでもいいですか?

 

いえ、答えは自分で出すものです。

あなたの納得できる答えが、きっとあると思います。

 

いつか、そこにたどり着くんでしょう!

あなたが、望むなら!

 

しかし、その答えにたどり着く人が、本当にいるんでしょうか?

 

それともそんな疑問さえ抱かないで、日々の生活に追われいるんでしょうか?

それはそれで、幸せかもしれません。

 

でも、そこに問題があるんじゃないでしょうか?

「生きる意味」「目的」も無く、ただ「欲望」のまま生きる人ばかりの世の中なら、人は救われるでしょうか?

 

そこで、僕は

あえて間違った答えを出したいと思います。

 

そこに、僕の生きる意味を託したいと思います。

その答えは、「輪廻転生」です。

この世で、「徳」を積めば次の世で「ステータス」がひとつあがる!

わかりやすいですよね!

 

生きる希望が持てます。

世の中も平和に近けるでしょう。

 

でも、きっとこんな単純じゃ無いんでしょう!

僕の永遠のテーマです。

答え!

それでは、ここまでで僕の導き出した「僕の答え」です。

発表します。

問題「生きる意味とは?」

答え「人として、生きる」ということ

です。

 

答え合せは、誰がしてくれるのでしょうか?ははは!

 

今の時点で、僕の導き出した答えはこれです。

僕自身、修行を積んで(経験を積んで)この先、この答えを訂正するかもしれません。

しかし、現時点で僕が導き出した「答え」はこれです。

 

それは、「善人であれ悪人であれ、日本人であれ外国人であれ」。

人として生まれてきた者の、生きる意味は「人として生きる」ということです。

 

それは、「お金持ちでも貧乏人でも、お年寄りでも若者でも」。

人として生まれてきた者の、生きる意味は「人として生きる」ということです。

 

「死」というゴールに向かって生きていくわけですから、「苦しみ」「喜び」もいろいろあると思います。

そういうすべてのことをひっくるめて、人は「人として生きていく」ということこそ、生きる意味なんです。

「人として生きていく」ために生まれてきて、「死」というゴールに向かうのです。

 

「喜び」を感じながら生き、「苦しみ」を感じながら生きる。

そして、「死」というゴールに到着するのです。

 

そこに、「死」という得体の知れないものがあるから、人は恐怖するのです。

「死」を恐怖するあまり、「人はなぜ生まれてきたんだろう?」と疑問を抱くのです。

「死」を恐怖するあまり、「生きる意味はあるんだろうか?」と疑問を抱くのです。

 

しかし、「死」はただの結果でしかありません。

 

いつ、訪れるか?も分からない遠い未来の「死の恐怖」に背を向けて!

隠れてコソコソ生きることは、無意味なんです。

 

「死」を恐れることは、「無意味」なんです。

 

「恐怖心」とは動物が捕食者から逃れるため、生き残るために勝ち取った能力です。

本来、生きのこるための能力である「恐怖心」に、取り憑かれる必要はないのです。

 

捕食者もいないのに。

 

それは、あなたの身を守るために備わったあなたの能力です。

 

危険を察知するために常にアンテナをはっています。

そのアンテナが、必要以上にあなたを苦しめているんです。

 

「生きる意味はあるんだろうか?」

「あります。」

 

「生きることこそ、生きる意味です。」

 

幸せであろうと不幸せであろうと「生きること」に違いはありません。

幸せであろうと不幸せであろうと「生きていること」は素晴らしいことです。

 

「善人」であろうと「悪人」であろうと「生きていること」は素晴らしいことです。

「善人」であろうと「悪人」であろうと、他方から見れば「悪人」であり「善人」なんです。

 

それよりも、生きていることこそ素晴らしいことなんです。

 

そして、そのことに気づいて欲しいんです。

ただ、そのことだけ気づいて欲しいんです。

 

それは、「恐怖」こそ生きている証しであると。

そして、恐怖に負けない強い精神力を手にいれて欲しいんです。

 

人間の最大の弱点は、恐怖に負ける弱い心です。

その弱い心、故に「人は人を殺す」のです。

 

その弱い心が、「生きていても仕方がない」と思わせるのです。

人は、ただ漠然と「恐怖に取り憑かれる生き物」なんです。

 

まとめ

 

じゃ、なぜ、生まれてきたんでしょうか?

 

もちろん、僕自身「恐怖心」のかたまりのような人間です。

だから、人一倍考えててしまうんです。

 

生きる意味なんてあるんだろうか?

なぜ、こんな苦しい思いをしながら生きていかなければならないのか?

 

そして、たどり着いた答えがこれです。

 

「人として生きること」こそ、僕が生まれて来た理由であると。

そして、「死」を恐れる必要など無いと。

漠然と「死」の恐怖に取り憑かれるのは、無意味だと。

 

でも、口では言えても、実際その恐怖から逃れることができるか?は、疑問です。

 

ふふふ、でも僕には僕の使命があるんですよ!

 

知りたいですか?

 

「生きる」をテーマに作曲活動をしています。

介護の現場で、人生の最後の頃に「道を迷うお年寄り」のお世話をしながら。

そして、「こんな歌」を作っては歌っています。

 

是非、聞いてください。

津軽三味線の音色は、命の育みを表しているんですよ。

下の、赤いボタンを押してね!

「今、ここにいる幸せ by つむぎ人 HIDE」

 

この歌は、「今、ここにいる幸せ」に気付いて欲しくて作りました。

 

あなたのことが心配で、たくさんの人が集まってくれてますよ!

泣かないで!

悲しまないで!

と、歌ってます。

 

口で言っても、本人にはあまり伝わりません。

 

だから、歌にしていつも歌っています。

 

この歌を作って、もう2年になります。

このお年寄りも、今ではみんなとすっかり仲良しになりました。

 

「帰りたい」と泣くことも減りました。

明るくなりました。

 

いつまでもお元気で、と願っています。

 

道に迷い生きる希望を失った人たちは本当に沢山いると思います。

そんな人達に届く歌を作ることが、僕の望みです。

 

そして、力強い津軽三味線の音色が、明日の活力となるよう「あなた」に届きますように!

 

by つむぎ人 HIDE